江戸時代までの日本を理解をしようとするならば、土地支配の変遷に着目するとわかりやすいと思うのです。
といっても、土地の話は難しい。
江戸時代より前、正確には太閤検地の前は複雑です。
それをわかりやすく説明することを当サイトは目指しているのですが…頑張ります!
現代は商工業が発達していますから、国の税収は法人税とか所得税、消費税なんですけれども、昔は「土地」なんですね。
もちろん、不動産収入ではなくて、土地から得られる年貢なわけです。
江戸時代より前の日本史は、簡単に言えば年貢(税金)を巡る争いがずーっと続いているわけです。
権力者たちは古今東西、常にガッポガッポ金儲けしたいわけです。
そういうことで、江戸時代までの土地を巡る争いを理解しようとするならば、まずは大化の改新から始めるべきと思うのです。
なぜ、大化の改新なのでしょうか。
乙巳の変(いっしのへん)
聖徳太子が死んだあと、豪族の蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子がものすごい権力を握ります。
もう半端ないです。天皇家を凌駕しています。
蘇我親子は、皇太子候補で聖徳太子の息子の山背大兄王を攻め滅ぼします。理由は優秀だから。山背大兄が天皇になると間違いなく天皇中心の政治は前進し、自分たちが好きにできないから。
なんか「ご・う・ぞ・く」という感じですね。
当時は35代皇極天皇の時代。
まだ、歴史の浅い天皇家にとって変わろうなんて考えている輩がいても不思議ではありません。実際、それっぽいことをしていましたから。
今の価値観で歴史を見てはいけません。勝者の歴史を正しい歴史と思ってはいけません。
話は戻って、それを快く思わない2人の男がいました。
中大兄皇子と中臣鎌足です。
2人は作戦を立て、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自害し、豪族蘇我氏の本家筋は滅びます。
645年のこと。
蘇我親子が暗殺される事件を「大化の改新」と勘違いしやすいのですが、これは「乙巳の変」です。大化の改新の序曲です。
大化の改新とは政治体制の刷新
乙巳の変をきっかけに、中大兄皇子と中臣鎌足は、推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子が進めていた「天皇中心の国家」づくりを加速させます。
大和王権の人民支配体制(氏姓制度)を廃止し、天皇を中心とする律令国家を目指しました。
もっと、簡単に言うと、「人民も土地もみんな天皇のもの」ということ。
当サイトで特に強調したいのは、「すべての土地は天皇のもの」です。
この思想と対立する形で歴史を見てみると面白いですよ。
むすび
あまりにも、簡単すぎる大化の改新でした汗
この大化の改新から、天皇を中心に日本の歴史が動いていくことになるのです。
特に土地の支配をめぐって熱く動いていきます。
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