平正盛が所領を六条院へ寄進した理由

院政の時代
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源氏の風下に立たされ続けた平氏ですが、源氏が一族の内紛で没落すると、源氏にとってかわります。しかし、源氏が衰退すれば、必然的に平氏が興隆したというわけではありません。弱小勢力だった平氏と武士の長者河内源氏。そこには乗り越えられない壁みたいなものがあったわけですが、それを埋めるきっかけとなったのが今回お話する六条院領です。

 

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媞子内親王と六条院

六条院は、白河院の第一皇女媞子(ていし)内親王の御所を、内親王の没後に仏堂に改めたものです。それが京都の六条にあったことから、六条院と称したといわれています。源氏物語にも六条院が出てきますが、当然その六条院とは違うのですけれども、おそらくそれに匹敵する邸宅だったのではないでしょうか。

この媞子内親王の母は、白河院がことのほか寵愛した中宮藤原賢子ですが、1084年(応徳元年)9月22日に白河院に先立って死去しました。白河院は、賢子の形見のように内親王を溺愛し、つねに連れ歩いていたそうです。堀河天皇の准母(実母でも継母でもない人が、母に準ずる待遇を与えられた地位)として中宮に立て、ついで郁芳門院という門院号を与えられました。門院号は、それを与えられると上皇に準ずる待遇を受けることになり、その地位は天皇に次ぐ者となります。媞子内親王は堀河天皇の同母姉ですから、白河院がいかに内親王に特別なはからいをしていたかをうかがい知ることができます。

しかし、1096年(永長元年)8月7日、媞子内親王は齢わずか21歳にして没しました。白河院の落胆は中宮賢子よりひどいものだったようです。『中右記』には、内親王の死をいたんで、

「噂によれば、内親王は進退うるわしく、風容(容姿)もはなはだ立派だった。性格は生まれながらにして寛仁にして、心から人に施すことを好まれた。白河院は他の皇子・皇女とは別にご寵愛なされた。そのため天下の権威は内親王に集まっていた。しかるに七、八年来、春になると病気になり、仏神に祈請されることが年をおってひどくなられたが、ここについに崩ぜられた。こののち院は気を落とされ、東西もわきまえ給わずという。ああ哀しいかな」と、記されています。

崩御の翌々日、白河院は近臣が固く止めるのを聞かず出家してしまいました。内親王を失った落胆の大きさを物語っています。

白河院は、媞子内親王の追福を祈る様々の仏事をおこないました。内親王が暮らしていた御所である六条院を御堂に改めたのもその一環で、一周忌のころにはすでに大方出来上がっていたようです。1097年(永長二年)10月14日には僧正隆明を導師として落成供養がおこなわれました。

正盛の六条院への寄進

平正盛が所領を寄進したのはその翌年のことです。

当時の正盛は、伊勢・伊賀のほかに、大和にも東吉助荘という荘園を有していましたが、伊賀や大和において東大寺と所領をめぐって紛争が起こりかけていました。

巨大な寺院勢力東大寺との紛争に勝利するために、正盛は巨大な権力をバックにつける必要に迫られていたのです。在京していた正盛は、媞子内親王を亡くしたことによる白河院の落胆ぶりを見聞きしていたはずです。そこで、白河院の思い入れの強い六条院に所領を寄進することによって、六条院を本所と仰ぐことで、白河院の力を背景に東大寺に対抗しようとしたのでした。

その効果は強力でした。この後に正盛と東大寺は伊賀鞆田をめぐって紛争に発展し、東大寺は正盛を訴えました。しかし、正盛が白河院をバックに持っていた上に、現地の農民も正盛の側についたらしく、東大寺が敗訴し、まもなく東大寺は鞆田の領有を放棄します。

さらに、正盛は伊勢山田をめぐって伊勢神宮に訴えられますが、この件は白河院が直接介入して正盛が勝利します。

六条院への所領寄進の後に起こったこれらの事件は、正盛の存在を白河院に認めさせることにつながりました。そして、白河院もまた源義家にかわる「武士の長者」を求めていました。正盛は源氏に代わる「武士の長者」の期待を受けて、出世街道を突き進んでいくことになります。

 

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参考文献

竹内理三『日本の歴史6~武士の登場』中公文書。

木村茂光『日本中世の歴史1~中世社会の成り立ち』吉川弘文館。

福島正樹『日本中世の歴史2~院政と武士の登場』吉川弘文館。

 

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