中世において、婚姻関係が権力奪取の手段でもあり、きっかけでもあります。
藤原氏は、娘を天皇に嫁がせ、生まれた皇子の外戚になることで、その権力を強めていきまし、北条氏は、娘の政子が源頼朝の正室であったこと、その息子の頼家、実朝の外戚になったことで、幕府内での地位を高めることができました。
鎌倉時代の足利氏歴代当主の正室は北条氏から迎えていました。
北条氏は、有力御家人だった足利氏に娘を嫁がせることで、自身の勢力に組み入れて、謀反を未然に防ぐ目的があったのでしょう。
足利氏にとっても、幕府内で影響力を増す北条氏と婚姻関係を結ぶことは悪いことではなかったに違いありません。
もちろん、足利氏以上に北条氏と濃い血縁関係を結んでいたといえる安達氏ですら、北条氏に滅ぼされたのですから(正確には内管領の平頼綱)、足利氏も安泰ではありませんでしたが、とりあえず生き残ります。
そして、北条氏滅亡。
室町幕府将軍となった足利氏の正室には、どの家の姫さんが迎えられたのでしょうか?
足利将軍家の正室
将軍家となった足利氏の正室(御台所)を見てみましょう。
初代将軍尊氏=赤橋登子(16代執権赤橋守時の妹)。
2代将軍義詮=渋川幸子(足利一門・渋川義季の娘)。
3代将軍義満=日野業子・康子
4代将軍義持=日野栄子(日野康子と栄子は姉妹です)。
5代将軍義量。早世につき正室なし。
6代将軍義教=日野宗子・重子(日野宗子と重子は姉妹です)。
7代将軍義勝。早世につき正室なし。
8代将軍義政。日野富子。
9代将軍義尚=日野勝光の娘(日野富子の姪)。
10代将軍義材。細川氏(足利一門の娘)。
11代将軍義澄。日野氏の娘。
12代将軍義晴。近衛氏の娘。
13代将軍義輝。近衛氏の娘。
14代将軍義栄。結城氏の娘。
15代将軍義昭。正室なし。
このように、日野氏が圧倒しています
早世した義量、義勝と10代義材を除いて、3代将軍義満から11代将軍義澄まで日野氏の娘が足利将軍家に嫁いでいることがわかります。
8代将軍義政の正室「日野富子」が有名ですね。日本三大悪女として取り上げられていますが、本当は悪女ではないようです。ちなみに、残りの悪女とされる人は北条政子と淀君。
当サイトは、北条政子は悪女として扱っていません。むしろ名君です。
>>>政子のエピソードはこちらの記事
日野氏は、鎌倉幕府倒幕運動で歴史の舞台に表立って登場してきますが、「日野氏」とは何者でしょうか?
将軍家の正室をたくさん輩出しているにも関わらず、「日野富子」くらいしか教科書に載らない日野氏とはどんな一族なのでしょうか?なぜ、足利将軍家とつながるようになったのでしょうか?
足利氏と日野氏の蜜月のつながりは、この人達からです。
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