幻了

六波羅探題

普恩寺流北条仲時・友時父子と北条時益~最後の六波羅探題

足利高氏の挙兵によって攻め滅ぼされた六波羅探題。その最後の探題は、北方が普恩寺流北条仲時、南方が北条時益でした。 【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす 普恩寺流北条仲時 極楽寺流北条重時の系統である普恩寺流北条基時(13代執権...
鎌倉時代

鎌倉幕府4代将軍・藤原(九条)頼経の生涯

室町幕府は足利氏、江戸幕府は徳川氏が代々将軍をつとめたことは多くの人の知るところですが、鎌倉幕府にいたっては、源頼朝くらいしか知られていないのではないでしょうか?せいぜい2代将軍頼家、3代将軍実朝の源氏将軍まででしょう。実朝が兄頼家の遺児...
鎌倉時代

鎌倉後期の社会。荘園同士の争いで大変な時代へ

人々が平野に住むようになったのは江戸時代より少し前、戦国末期や安土桃山時代の頃です。城下町やらなんやら都市ができていきますが、このように平野に人々が住めるようになったのは、土木技術・治水技術の急速な発達があったからです。 平野に人が住まな...
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鎌倉時代

御恩と奉公・御家人制度をなるべく詳しく解説

鎌倉時代は、武士=御家人というイメージがありますよね。しかし、この時代の武士全てが御家人という訳ではありません。それでは、御家人って何?となるのですが、御家人とは何か「御恩と奉公」を中心に見ていきましょう。 御家人と非御家人、そして侍 御家...
鎌倉時代

得宗北条氏と名越北条氏~争いの始まりから決着まで

得宗が交代する時、つまり前代の得宗が死去し、新しく得宗が立つとき、北条一族では必ず内紛が勃発します。 義時から泰時へ、泰時から経時へ、経時から時頼へ、時頼から時宗へと代が変わるときに内紛がおこっています。もちろん、一族郎党巻き込んでド派手...
鎌倉時代

悪党・鎌倉時代のもう一人の主役

当サイトでは、伊豆国の一介の役人でしかなかった北条氏が、河内源氏の嫡流・源頼朝と「ひょんなことから」縁戚関係になり、鎌倉幕府を牛耳っていく姿を主としながら、頼朝に最も近い血統と血縁をもちながらも北条氏の次の家格に止まり、しかし着実に室町将軍...
鎌倉時代

御内人とは何か?簡単に解説

鎌倉時代の前半は「御家人」という用語がたくさん出ていきますが、後半にもなるとその「御家人」が減って、「御内人(みうちにん・みうちびと)」がやたらと出てきます。字も非常に似ており、「家」と「内」しか違わないので、ややもすると御内人を御家人と読...
鎌倉時代

足利将軍につながる「源氏嫡流足利氏」の誕生

足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼし、建武の新政で武家の棟梁としての地位を築き、それをもって建武政権打倒後に室町幕府を開くという一連の行動は、足利氏が「武家の棟梁たる源氏の嫡流」という地位を獲得していたからと考えられています。 多分そうですよね。将...
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