室町時代

室町時代

大名化する守護と国人一揆を解説~変動する室町期の武家社会

南北朝の内乱は、足利尊氏・直義兄弟の対立を中心とした幕府中枢部の分裂、すなわち1350年(観応元年)に始まる観応の擾乱によって、複雑になり激化します。 内乱の深刻化は、幕府や守護といった社会の上層部だけでなく、在地領主や農民などを巻き込ん...
室町時代

南北朝時代は、戦い方や刀・鎧などが大きく変化した時代だった

悲しいかな、時代の変革期には必ずと言っていいほど戦いが起こりますが、それにともなって武器・武具が変化するといわれています。鉄砲が登場し、鎧が鉄に変わっていった戦国時代はわかりやすい典型例といえるでしょう。 鎌倉時代末期から南北朝時代もまた...
南北朝時代

鎌倉末期から南北朝時代の合戦の手順を解説

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、武家社会は大きく変化します。鎌倉幕府が滅亡し、建武政権や室町幕府が誕生したのですから、変化があるのは当然と言えば当然です。 戦いの変化 戦闘を家の芸とする武家社会の変化は、戦闘そのものにも大きな影響を与え...
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足利尊氏の時代

室町幕府初代将軍足利尊氏の生涯【後編】・室町幕府創設から南北朝へ

後醍醐天皇の許可なく鎌倉に下向して、北条残党の反乱である中先代の乱を制圧した尊氏。いよいよ、本格的な動乱の時代に突入しています。 建武政権から離反 1335年(建武二年)7月、中先代の乱鎮圧のために鎌倉に下向し、鎌倉に留ま...
足利尊氏の時代

室町幕府初代将軍足利尊氏の生涯【前編】・誕生から建武の新政まで

室町幕府初代将軍足利尊氏。明治以降の教育では天皇に弓を引いた謀叛人として扱われてきた影響もあって、源頼朝や徳川家康に比べて人気もありませんし、人物評価も悪く言われる傾向にありますが、どのような人生を歩んできたのでしょうか? 今回は、誕生か...
南北朝時代

北朝再建と尊氏・義詮対直冬

第二次観応の擾乱後、南朝軍の京都攻略によって、持明院統の光厳・光明・崇光の三上皇と廃太子直仁親王が賀名生に連れ去られたことで、幕府は存続の危機に立たされます。 正平の一統が破談し、再び南朝と対立した幕府は、すでに北朝が消滅...
足利尊氏の時代

正平の一統の破綻と南朝の反撃~八幡の戦いと武蔵野合戦

1351年(観応二年)11月3日、第二次観応の擾乱において、尊氏は鎌倉に下向した直義を討つべく、畿内の後顧の憂いを断つために南朝と講和しました。この講和は「正平の一統」と呼ばれ、皇統を大覚寺統(南朝)に統一するというものでした。 直義が尊...
足利尊氏の時代

第二次観応の擾乱・尊氏対直義~正平の一統と直義の死

第一次観応の擾乱によって、高師直・師泰兄弟以下の高一族とその被官は誅殺され師直派は敗北。直義派は、尊氏・師直派に圧倒的な勝利をおさめました。 尊氏・直義和睦と義詮 1351年(観応二年)2月27日に尊氏が京都に戻り、翌28日に...
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