足利尊氏の時代

足利尊氏の時代

多々良浜の戦い

京都・兵庫で後醍醐方に敗れた足利尊氏は、持明院統の担ぎ出し裏工作や一種の徳政令を出して味方の兵を募るなど、次の一手を打ちながら九州へ退いていきます。 尊氏九州上陸 1336年(建武三年)2月29日、尊氏軍が筑前芦屋ノ津(福岡県...
足利尊氏の時代

尊氏、持明院統・元弘没収地返付・室津軍議など布石を打って九州落ち

箱根・竹之下の戦いで、新田義貞を撃破した尊氏は、そのまま京都に向けて進撃を開始しました。 後醍醐天皇は、尊氏を挟み撃ちをするために奥州の北畠顕家に尊氏追討を命じました。顕家は1335年(建武二年)12月22日に奥州を出発。 12...
足利尊氏の時代

尊氏の建武政権離反・尊氏対義貞の最初の激突~箱根竹之下の戦い

得宗・北条高時の遺児北条時行とその残党が起こした「中先代の乱」とよばれる大規模な反乱は、京都から足利尊氏率いる軍勢が下向したことで鎮圧されました。 8月2日に尊氏は京都を出発していますが、喜んで尊氏軍に従った人は数知れずという状況だったよ...
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