朝廷

朝廷

持明院・大覚寺統の荘園をめぐる仁義なき争いと文保の和談

持明院統と大覚寺統に完全に分裂し対立した天皇家は、収拾がつかなくなります。幕府もこの対立に巻き込まれますが、一貫して両統迭立の原則を固執します。この状況を打破しようとしたのが、後醍醐天皇です。 室町院領の折半 1298年(永仁...
朝廷

持明院統と大覚寺統の始まりと鎌倉幕府を巻き込んだドロドロの抗争

鎌倉・室町時代を理解するには、この時代に起こった「天皇家の分裂」を理解することが非常に重要と思われます。 というのも、鎌倉幕府の滅亡も、南北朝時代もこの両統迭立を軸に動いていきます。足利義満によって南北朝時代は終結したことになっていますが...
朝廷

鎌倉幕府滅亡・南北朝時代の要因となった「両統迭立」を解説

のちに南北朝時代の要因となる天皇家の分裂は、1272年(文久九年)、北条時宗が二月騒動で庶兄の時輔を誅殺したころに起こりました。 鎌倉時代に始まった天皇家の分裂は、1392年(明徳三年)に室町幕府三代将軍足利義満によって合...
朝廷

後鳥羽上皇の天才的政治手腕について簡単に解説

1192年(建久三年)、平清盛・源頼朝と壮絶な主導権争いを繰り広げ、その源頼朝から「日本一の大天狗」と言われた治天の君、後白河法皇は崩御されます。そして、次の治天の君になったのは後鳥羽上皇でした。 治天の君とは、天皇家の長者のことです。 ...
朝廷

天皇家の長者「治天の君」

確かに、鎌倉時代・室町時代は武士の時代です。 鎌倉幕府・室町幕府の時代ですが、朝廷の動向を無視して政治を行ったわけではないのです。ゆっくりと公家から武家への時代へ移行していくイメージです。 急に突然、武士の世になったわけではありません。...
スポンサーリンク