鎌倉時代

鎌倉時代

伊賀氏の変と北条泰時・三代執権の座を巡る北条氏の内紛劇を解説

1224年(元仁元年)6月13日、北条義時は死去しました。 「吾妻鏡」によると、日ごろから脚気(かっけ: ビタミン不足で神経障害が発生し、最悪心不全にいたる場合も)があったところに、6月12日に急性胃腸炎を発して、翌日に没するという急死で...
北条義時の時代

【承久の乱】後鳥羽上皇ら京方と北条義時ら幕府の戦い

1219年(承久元年)1月27日、3代将軍実朝は、故2代将軍頼家の子公暁によって鶴岡八幡宮で暗殺されました。 後鳥羽上皇は、幕府のトップたる将軍実朝が暗殺されたのですから、将軍=鎌倉殿を失った御家人はさぞかし動揺し、幕府は混乱すると考...
朝廷

後鳥羽上皇の天才的政治手腕について簡単に解説

1192年(建久三年)、平清盛・源頼朝と壮絶な主導権争いを繰り広げ、その源頼朝から「日本一の大天狗」と言われた治天の君、後白河法皇は崩御されます。そして、次の治天の君になったのは後鳥羽上皇でした。 治天の君とは、天皇家の長者のことです。 ...
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北条義時の時代

【実朝暗殺】北条義時の企て??~摂家将軍の誕生

1203年(建仁三年)9月2日、北条時政らによって、2代将軍源頼家の外戚として勢力を誇った比企氏が滅ぼされました。それから5日後の9月7日、北条政子によって源頼家が出家させられます。そして、9月15日、源実朝は12歳で3代将軍に就任しまた。...
北条義時の時代

北条義時と和田義盛の確執&和田合戦をくわしく解説

北条政子が源頼朝に嫁がなければ、伊豆の弱小豪族で終わっていたかもしれない北条氏。その北条氏は、頼朝によって歴史の表舞台に現れ、頼家・実朝の外戚という地位を利用しながら幕府内での権力を強めていきます。さらに相模国司・武蔵国司になることで、領土...
北条時政の時代

畠山重忠の乱・坂東武者の鑑、北条時政の謀略で滅亡

頼朝の死後、鎌倉幕府の権力抗争は激しさを増していきます。 時政・義時のころの北条氏は、後世の私たちが知る鎌倉幕府の実力ナンバー1な北条氏ではなく、将軍家の外戚ということで、他の御家人より特殊な地位にいるけれども、他の御家人にいつ滅ぼされて...
北条時政の時代

比企氏が勢力を拡大した理由と「比企能員の乱」をわかりやすく

鎌倉幕府ナンバー2にして、実質ナンバー1な北条氏。 北条氏は次々とライバル御家人を滅ぼし、幕府内での位置を高めていくわけですが、本格的に滅ぼした最初の氏族は比企氏と言われています。 今日は、その比企氏との争いについて考えてみましょう。 ...
北条時政の時代

頼朝・義経の兄弟阿野全成~子孫は後醍醐天皇の妃阿野廉子

源頼朝の弟といえば、源義経や源範頼を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?それが普通です。 しかし、あまり知られていないですが、義経や範頼のように頼朝に滅ぼされずに、鎌倉幕府初期まで生き残った弟がいます。 彼の名は阿野全成(あのぜん...
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