鎌倉時代

朝廷

持明院・大覚寺統の荘園をめぐる仁義なき争いと文保の和談

持明院統と大覚寺統に完全に分裂し対立した天皇家は、収拾がつかなくなります。幕府もこの対立に巻き込まれますが、一貫して両統迭立の原則を固執します。この状況を打破しようとしたのが、後醍醐天皇です。 室町院領の折半 1298年(永仁...
朝廷

持明院統と大覚寺統の始まりと鎌倉幕府を巻き込んだドロドロの抗争

鎌倉・室町時代を理解するには、この時代に起こった「天皇家の分裂」を理解することが非常に重要と思われます。 というのも、鎌倉幕府の滅亡も、南北朝時代もこの両統迭立を軸に動いていきます。足利義満によって南北朝時代は終結したことになっていますが...
鎌倉時代

長講堂領・八条院領が持明院統・大覚寺統に伝わった経緯を解説

高校日本史の教科書には、「長講堂領と八条院領は持明院統と大覚寺統に継承された」と書いてあります。なぜ、継承されたのかについてほとんど触れられていませんので、今回はこの点について見ていきましょう。 王家(天皇家)領荘園は平安時代末期(院政期...
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鎌倉時代

承久の乱が荘園社会に与えた影響とは~新補率法・西遷御家人など

今回は、承久の乱が鎌倉幕府と荘園の関係にどのような影響をもたらしたのか見ていきましょう。 承久の乱と承久没収地 承久の乱とは、1221年(承久三年)に後鳥羽上皇が執権北条義時の追討を命ずる宣旨(太政官の命令書)を発して挙兵するも、幕府軍に敗...
鎌倉時代

鎌倉時代の荘園の特徴~地頭・本所・徳政の解説も

院政期に、王家(天皇家)・摂関家・寺家の経済基盤として生み出された「荘園制」は、武家によって成立した鎌倉幕府の影響を受け、新たな展開を遂げることになりますが、鎌倉時代の荘園には3つの大きな特徴があると言われています。 それは、「立荘の収束...
北条政子

女武将・板額御前

鎌倉時代は、数は多くありませんが女武者が活躍する時代で、男の武者顔負けの活躍をしています。 今回は、鎌倉武士が女武者をどう見ていたのかがわかる興味深いエピソードをご紹介しましょう。 城氏の乱 1201年(建仁元年)、越後の豪族城氏が幕府に...
北条政子

頼家、安達景盛の側室を奪って一触即発の危機~政子の機転で万事休す

1199年(正治元年)1月13日。源頼朝は突然死去します。確かな記録はないのですが、落馬が原因だったと言われています。 頼朝の後を継いだのが、頼朝と政子の嫡子頼家でした。頼家この時18歳。 ところが、頼家はいきなり頼朝の方針から逸脱しま...
源頼朝

木曽義仲の息子義高と宮菊から見える北条政子

北条政子は、日本三大悪女とか言われていますが、『吾妻鏡』を読む限りなぜ悪女になったのかさっぱり理解できません。 悪女が「尼将軍」と称されることもないでしょうし、御家人がついてくるはずもありません。北条政子の人柄を『吾妻鏡』から見ていくシリ...
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