鎌倉時代

六波羅探題

六波羅探題①・六波羅探題成立と役割についてご紹介

鎌倉幕府滅亡に至った戦いとして、足利尊氏の六波羅探題攻めと新田義貞の鎌倉攻めが挙げられます。 皆さんも鎌倉幕府については幾度となく触れたことがあると思いますが、六波羅探題について触れる機会は中々ないのではないでしょうか? 「足利尊氏が六...
鎌倉時代

元弘の変・後醍醐天皇の倒幕と隠岐配流

後醍醐天皇の倒幕計画は、計画メンバーが嫁さんにうっかり口を滑らしたことであっけなく失敗に終わりました。 後醍醐天皇は幕府に釈明し、日野資朝・日野俊基らが主犯格という責任を負ってもらうことでその罪を免れたのでした。 ところが天皇家では...
朝廷

鎌倉幕府滅亡・南北朝時代の要因となった「両統迭立」を解説

のちに南北朝時代の要因となる天皇家の分裂は、1272年(文久九年)、北条時宗が二月騒動で庶兄の時輔を誅殺したころに起こりました。 鎌倉時代に始まった天皇家の分裂は、1392年(明徳三年)に室町幕府三代将軍足利義満によって合...
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鎌倉時代

正中の変・後醍醐天皇、倒幕計画を立てるも隙だらけで失敗

1321年(元亨元年)、後宇多上皇の院政が停止され、後醍醐天皇の新政がはじまりました。後宇多上皇が院政を停止した理由はよくわかっていません。 念願の「治天の君」の地位を手に入れた後醍醐天皇は、いよいよ倒幕に動きます。 後醍醐天皇の倒幕計画...
鎌倉時代

【嘉暦騒動・元徳騒動】傀儡化した得宗北条高時と鎌倉幕府の限界

1311年(応長元年)12月6日、まだ9歳という幼い高時を残して病に伏していた貞時は、臨終に際して御内人の長崎高綱と安達時顕に後をたくして死去します。享年41歳。戒名は最勝園寺殿覚賢。 北条貞時は永仁の徳政に失敗して以降、寄合にも出席しな...
鎌倉時代

【嘉元の乱】北条貞時の専制政治!と思いきや北条氏の内紛というオチ。

貞時は、御家人の窮状を救うために永仁の徳政令を出しましたが、逆に社会の混乱を招きました。また、貞時は引付や越訴を廃止することができなかったばかりか、権力を得宗に一元化することもできませんでした。 →永仁の徳政令 得宗専制政治と言われ...
鎌倉時代

【永仁の徳政令】混乱を招いた北条貞時の政治

平頼綱の政治は、明らかに安達泰盛の政策を否定したものでした。 そして、今度は北条貞時が平頼綱の政策を否定します。 平頼綱が安達泰盛を滅ぼした霜月騒動以後の賞罰はすべて無効とされたのです。 また、頼綱によって失脚させられた御家人を幕府...
鎌倉時代

御内人・内管領平頼綱の政治と平禅門の乱

1285年(弘安八年)11月、霜月騒動で幕府宿老最後の有力御家人の安達泰盛は、平頼綱を中心とする勢力によって滅ぼされました。 泰盛にかわって政権の運営にあたったのは平頼綱でした。日蓮は、平頼綱を安達泰盛と並ぶ有力者と述べていま...
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