得宗北条氏

鎌倉時代

御成敗式目(貞永式目)が制定された背景

承久の乱によって、政治の実権は公家から武家へ移りました。 と、文字で起こすと、「簡単な」出来事に見えてしまいますが、この事件は当時の社会において相当なインパクトをもたらしたことは想像に難くありません。 それは、明治維新に匹敵するような大...
鎌倉時代

鎌倉幕府最後の執権・赤橋(北条)守時

鎌倉幕府最後の執権は「北条高時」ではありません。 高時は最後の「得宗(とくそう)」で、最後の執権は「赤橋流北条守時」です。 「赤橋守時って誰?」と言わないでください。 足利尊氏の正室登子の兄、つまり尊氏の義兄。あるいは、室町幕府2代将...
六波羅探題

普恩寺流北条仲時・友時父子と北条時益~最後の六波羅探題

足利高氏の挙兵によって攻め滅ぼされた六波羅探題。その最後の探題は、北方が普恩寺流北条仲時、南方が北条時益でした。 【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす 普恩寺流北条仲時 極楽寺流北条重時の系統である普恩寺流北条基時(13代執権...
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鎌倉時代

得宗北条氏と名越北条氏~争いの始まりから決着まで

得宗が交代する時、つまり前代の得宗が死去し、新しく得宗が立つとき、北条一族では必ず内紛が勃発します。 義時から泰時へ、泰時から経時へ、経時から時頼へ、時頼から時宗へと代が変わるときに内紛がおこっています。もちろん、一族郎党巻き込んでド派手...
鎌倉時代

金沢文庫設立者・金沢実時の生涯

金沢文庫。本来の読み方は「かねさわぶんこ」が正しいのですが、神奈川県立金沢文庫も京急金沢文庫駅も「かなざわぶんこ」と呼ぶので、「かなざわぶんこ」が一般的な金沢文庫。 金沢文庫は、決して出版社の名前ではありません。鎌倉幕府随一の文化人・教養...
鎌倉時代

最後の得宗・北条高時の生涯

北条高時。鎌倉幕府14代執権で、最後の得宗。一般的に鎌倉幕府が滅亡したのは北条高時が悪かったからと言われていますが、北条高時は本当に悪かったのか、今回は北条高時に心を馳せたいと思います。 誕生から執権就任まで 1303年(嘉元元年)12月2...
鎌倉時代

足利義氏【後編】・関東宿老と鎌倉足利氏の全盛期

足利氏3代当主足利義氏は、3代執権北条泰時とは従兄弟であり、娘婿でもあり、その関係は強固なものだったようです。 この関係は後年、北条泰時の「関東棟梁」、足利義氏の「関東宿老」と称されるようになります。北条氏との強固な連携と、北関東に築いた...
鎌倉時代

足利義氏【前編】・和田合戦と承久の乱

鎌倉時代における足利氏の基礎を築いたといえる足利義兼は、1199年(正治元年)3月8日に頼朝の死を追うようにこの世を去りました。 義兼の子供たち 義兼の子には太郎義純、二郎義助、三郎義氏、四郎義胤(二郎義助の子)と2人の娘がいました。こ...
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