荘園

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摂関期の荘園・私領と寄進について解説

摂関期の荘園は、「免田・寄人型荘園」と呼ばれ、「初期荘園」から「中世荘園」への過渡期的な荘園と考えられています。そして、国衙(国司の役所)の支配下にありました。 今回は、そんな過渡期的で、国衙の支配下にあった私領・荘園の現地での動きについ...
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荘園制とは何?イメージをつかむために全体を解説

中世は、ずばり荘園制に基づいて社会が営まれていたと言ってもっても過言ではないでしょう。 公家・寺家・武家の所領の話だけでなく、国家体制・身分・経済などの当時の社会を構成するすべてが荘園制の上に成り立っていたのです。 しかし、その荘園制は...
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鎌倉時代の荘園・荘園領主と地頭の争い~地頭請・下地中分で解決?

鎌倉時代の最大の荘園領主は鎌倉幕府(将軍)です。この幕府荘園のことを関東御領と呼ぶのですが、現地の荘園管理者(荘官)のことを地頭とよびます。 天皇家・摂関家・寺家領の荘園管理者は、公文・下司・田堵などと呼ばれていましたが、...
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鎌倉時代

長講堂領・八条院領が持明院統・大覚寺統に伝わった経緯を解説

高校日本史の教科書には、「長講堂領と八条院領は持明院統と大覚寺統に継承された」と書いてあります。なぜ、継承されたのかについてほとんど触れられていませんので、今回はこの点について見ていきましょう。 王家(天皇家)領荘園は平安時代末期(院政期...
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鎌倉時代の荘園・荘園の支配構造と紛争

高校日本史Bの教科書『詳説日本史』に出てくる「肥後国鹿子木荘」。 開発領主である沙弥寿妙(しゃみじゅみょう)の子中原高方は、権威を借りるために太宰大弐藤原実政に年貢4千石をおさめるという条件で寄進し、実政を領家と仰いで自らは預所職になりま...
鎌倉時代

承久の乱が荘園社会に与えた影響とは~新補率法・西遷御家人など

今回は、承久の乱が鎌倉幕府と荘園の関係にどのような影響をもたらしたのか見ていきましょう。 承久の乱と承久没収地 承久の乱とは、1221年(承久三年)に後鳥羽上皇が執権北条義時の追討を命ずる宣旨(太政官の命令書)を発して挙兵するも、幕府軍に敗...
鎌倉時代

鎌倉時代の荘園の特徴~地頭・本所・徳政の解説も

院政期に、王家(天皇家)・摂関家・寺家の経済基盤として生み出された「荘園制」は、武家によって成立した鎌倉幕府の影響を受け、新たな展開を遂げることになりますが、鎌倉時代の荘園には3つの大きな特徴があると言われています。 それは、「立荘の収束...
鎌倉時代

鎌倉幕府の経済基盤~関東御領と関東御分国

鎌倉幕府は、朝廷や室町幕府・江戸幕府、果ては明治新政府以降の日本政府のような全国統一政権ではありません。 鎌倉時代というので、「鎌倉幕府は全国政権」と、ついつい錯覚してしまいますがそうではありません。 鎌倉時代の全国政権はあくまで「朝廷...
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