足利尊氏の時代

足利直義の人柄~尊氏と正反対の弟

南北朝時代序盤は、北陸や東国で主に主導権が争われましたが、結果は北朝有利に進みます。 しかし、その北朝も新たな内紛と分裂を引き起こし、これが南北朝時代を複雑なものにしてしまいます。 その内紛と分裂を引き起こす北朝の2つの勢力の代表が足利...
北条政子

女武将・板額御前

鎌倉時代は、数は多くありませんが女武者が活躍する時代で、男の武者顔負けの活躍をしています。 今回は、鎌倉武士が女武者をどう見ていたのかがわかる興味深いエピソードをご紹介しましょう。 城氏の乱 1201年(建仁元年)、越後の豪族城氏が幕府に...
北条政子

頼家、安達景盛の側室を奪って一触即発の危機~政子の機転で万事休す

1199年(正治元年)1月13日。源頼朝は突然死去します。確かな記録はないのですが、落馬が原因だったと言われています。 頼朝の後を継いだのが、頼朝と政子の嫡子頼家でした。頼家この時18歳。 ところが、頼家はいきなり頼朝の方針から逸脱しま...
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源頼朝

木曽義仲の息子義高と宮菊から見える北条政子

北条政子は、日本三大悪女とか言われていますが、『吾妻鏡』を読む限りなぜ悪女になったのかさっぱり理解できません。 悪女が「尼将軍」と称されることもないでしょうし、御家人がついてくるはずもありません。北条政子の人柄を『吾妻鏡』から見ていくシリ...
源頼朝

亀の前事件・源頼朝と北条政子の夫婦喧嘩から見える政子の権力

政子の気性の激しさを象徴するエピソードとして知られる「亀の前事件」。政子の嫉妬が半端ない事件として、後世では少々「笑いのネタ」的扱いですが、この壮大な夫婦喧嘩の中に、政子の権力の源泉を見出すことができます。 のちに、尼将軍として御家人を率...
鎌倉時代

鎌倉幕府の経済基盤~関東御領と関東御分国

鎌倉幕府は、朝廷や室町幕府・江戸幕府、果ては明治新政府以降の日本政府のような全国統一政権ではありません。 鎌倉時代というので、「鎌倉幕府は全国政権」と、ついつい錯覚してしまいますがそうではありません。 鎌倉時代の全国政権はあくまで「朝廷...
鎌倉時代

初期鎌倉幕府と荘園の関わり~地頭制の成立についても解説

荘園領主と言えば、王家・摂関家・寺社を連想しますが、鎌倉時代は武家政権「鎌倉幕府」こそが最大の荘園領主です。イマイチ、ピンとこないと思いますが、そういうことです。 院政期には、立荘という手続きを経て荘園が創出されていきましたが、鎌倉幕府は...
荘園

院政期の荘園の特徴と現地~預所・荘官(下司・公文・田所)を解説

荘園シリーズ。今回は、いよいよ「荘園中の荘園」「King of 荘園」である「中世荘園」についてです。時代的には院政時代から鎌倉時代半ばとなります。 中世荘園ができるまでのお話しはこちらの記事をどうぞ。 中世荘園の...
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