足利尊氏の時代

足利尊氏・直義兄弟の二頭政治体制を解説

「尊氏に道心を与え給うて、後世を助け給え。今生の果報を直義に与え給うて、直義の身を安穏に守り給え」 これは、1336年(建武三年)8月17日、光明天皇を即位させた2日後に、尊氏自らしたためて清水寺に奉納した願文です。 尊氏は、光明天皇の...
南北朝時代

南北朝時代・婆娑羅な武士たちとバサラなファッション

鎌倉末期から南北朝時代にかけて、様々な立場の武士が登場します。御家人・悪党・公家武者…などなど。 その中でも、当時の価値観を真っ向から否定する「変わり種」の武士が登場します。彼らは「婆娑羅(バサラ)」と呼ばれました。 室町幕府が禁止令を...
鎌倉時代

平安末期から鎌倉時代の合戦の手順について解説

「東夷(あずまえびす)」と、京都から蔑まれようが、何だろうが、武士には戦の「ルール」というものがありました。 とは言え、ルールは時代とともに変わるものですが、今回は、平安末期~鎌倉前期の戦の「模範的」なルールをご紹介しましょう。 軍使の派...
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鎌倉時代

鎌倉時代の東国武士・強さの秘密

現代においても、東日本と西日本では風習が違ったり、人々の気質が違っていたりと、東と西では何かと違う点があります。 教育やテレビ・ネットなどを通じて、そういった差は小さくなりつつあるといわれる現代でも違う点があるのですから、鎌倉時代ではその...
足利尊氏の時代

南北朝序盤~北畠顕家・新田義貞・後醍醐の死と南朝の劣勢

今回は、北畠顕家や新田義貞の死を通して、南朝が劣勢に置かれていく様子を見ていきたいと思います。 その前に、後醍醐天皇の皇子たちの戦いから見ていきましょう。南北朝時代は、この皇子たちが全国に赴いたことで、戦乱は京都から全国に広がったのです。...
足利尊氏の時代

建武式目の制定とその背景を解説

後醍醐天皇から光明天皇に三種の神器が渡されて、足利政権を正統化する形式的な手続きが完了したのは、1336年(建武三年・延元元年)11月2日のことでした。 その5日後に、尊氏によって『建武式目』17ヶ条が制定されます。 室...
鎌倉時代

御成敗式目と分国法

今回は、『御成敗式目』の内容をさらっと把握した上で、『御成敗式目』の制定が後世の社会にどのような影響を与えたのか見てみましょう。 『式目』の内容 『式目』51ヶ条の内容はどのようなものだったのか、一部かいつまんでご説明します。 1...
鎌倉時代

御成敗式目(貞永式目)が制定された背景

承久の乱によって、政治の実権は公家から武家へ移りました。 と、文字で起こすと、「簡単な」出来事に見えてしまいますが、この事件は当時の社会において相当なインパクトをもたらしたことは想像に難くありません。 それは、明治維新に匹敵するような大...
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