鎌倉時代の足利氏

【足利荘】源義国と足利氏発祥の地

今回は、源義国を中心に足利氏の発祥について見ていきましょう。 姓と名字 その前に、簡単に姓と名字について整理しておきましょう。足利氏は源氏です。今回の記事の主人公源義国の先祖の経基王が「源姓」を天皇から賜り、源経基と名乗ったが始まりとされて...
鎌倉時代

源氏の嫡流足利氏と執権北条氏の蜜月の関係

1333年(元弘三年)、足利尊氏が鎌倉幕府六波羅探題を攻め滅ぼすという歴史的事件が影響しているせいか、足利氏と北条氏の関係は悪かったという印象が世間一般にあると思われます。 もちろん、ギクシャクした時期もありますが、基本的には足利・北...
鎮西探題

【鎮西探題滅亡】阿蘇治時と最期の探題赤橋英時

1331年(元弘元年)、後醍醐天皇の2度目の倒幕運動は失敗に終わりました。後醍醐天皇は幕府に捕らえられて隠岐へと流されます。 →元弘の変 しかし、その余波は畿内だけでなく各地に広がっていきました。 後醍醐天皇の皇子護良親王が吉野で...
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鎮西探題

【鎮西探題③】歴代の鎮西探題。選任から見えてくる得宗家の思惑。

元の再来襲に備えて異国警固番役に就いている御家人・非御家人が、恩賞や所領争いのために鎌倉や六波羅に来ることは幕府としては困る話でした。 なぜなら、防備の持ち場を武士たちが離れてしまうからです。 そこで幕府は、1286年に鎮西談議所を設置...
鎮西探題

【鎮西探題②】鎮西探題の成立と初代探題金沢実政

元軍の再来襲に備えて、幕府は九州の御家人・非御家人を防備へ動員し続ける必要がありました。 そのような緊迫した中で、恩賞をめぐって九州の武士たちが鎌倉や六波羅にまで訴訟に来るというのは、持ち場を離れることになり幕府としては容認しがたいもので...
鎮西探題

【鎮西探題①】鎮西談議所と異国打手大将軍

東国政権として誕生した鎌倉幕府は、西国に勢力を伸ばすにつれて出先機関を作っていきます。幕府の拠点を西へ移すという発想はなかったようです。鎌倉幕府は、承久の乱を機として西国支配強化のために六波羅探題を設置しました。 今回は、蒙古襲来・元寇を...
鎌倉時代

【鎌倉幕府滅亡】新田義貞と北条一族の最期

足利尊氏謀反と六波羅探題滅亡は、鎌倉幕府を恐怖のどん底に陥れたことでしょう。そして、幕府の本拠地東国でも反乱の狼煙が上がり、いよいよ北条一族にその時が来るのです。 新田義貞挙兵 鎌倉を攻撃して北条一族を滅亡させたのは、新田義貞とされています...
六波羅探題

【鎌倉幕府滅亡】足利尊氏、六波羅探題を攻め滅ぼす

足利高氏が六波羅探題を攻め滅ぼす話にまいりましょう。 その前に、後醍醐天皇による倒幕運動のおさらいをしておきます。 そもそも、後醍醐天皇が倒幕に走った理由は、自らの皇位を維持し、自らの子孫に皇位を継承させるという野望のためで、そのために...
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