北条時政の時代

畠山重忠の乱・坂東武者の鑑、北条時政の謀略で滅亡

頼朝の死後、鎌倉幕府の権力抗争は激しさを増していきます。 時政・義時のころの北条氏は、後世の私たちが知る鎌倉幕府の実力ナンバー1な北条氏ではなく、将軍家の外戚ということで、他の御家人より特殊な地位にいるけれども、他の御家人にいつ滅ぼされて...
北条時政の時代

比企氏が勢力を拡大した理由と「比企能員の乱」をわかりやすく

鎌倉幕府ナンバー2にして、実質ナンバー1な北条氏。 北条氏は次々とライバル御家人を滅ぼし、幕府内での位置を高めていくわけですが、本格的に滅ぼした最初の氏族は比企氏と言われています。 今日は、その比企氏との争いについて考えてみましょう。 ...
北条時政の時代

頼朝・義経の兄弟阿野全成~子孫は後醍醐天皇の妃阿野廉子

源頼朝の弟といえば、源義経や源範頼を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?それが普通です。 しかし、あまり知られていないですが、義経や範頼のように頼朝に滅ぼされずに、鎌倉幕府初期まで生き残った弟がいます。 彼の名は阿野全成(あのぜん...
スポンサーリンク
北条時政の時代

梶原景時は本当に悪人だったのか?景時追放の裏に将軍擁立争い?

源義経を讒言(ざんげん)で追い落とした張本人として悪者として有名な梶原景時(1140?~1200)。 義経だけでなく、忠臣として知られる畠山義忠をはじめ大小さまざまな御家人たちが景時の讒言で痛い目にあっています。 鎌倉方では評価の低い御...
北条義時の時代

執権北条義時は嫡流ではなかった?それが北条氏の長年の対立の原因に

鎌倉幕府2代執権北条義時。 戦前の教科書では「朝廷に弓を引き、3人の上皇を島流しにしてしまう悪逆非道の男」として結構有名な御仁だったそうです。 さらには、源氏将軍を亡き者にし、次々と策謀を張り巡らして政敵を倒し、執権の座を確かなものとし...
鎌倉時代

鎌倉北条氏について簡単に解説

鎌倉幕府ナンバー2にして、実質ナンバー1な北条氏。 戦国時代の後北条氏と区別して、鎌倉北条氏・執権北条氏・前北条氏ともよばれますが、この北条一族はすごい。 血筋においては、確かに足利氏や新田氏よりも低いのですが、並みいる御家人を押さえて...
荘園

寄進地系荘園の発達

貴族や大寺社、天皇家は新しい土地を開拓し、荘園を広げていきました。 平安時代初期の9世紀は、荘園領主が直接経営をして朝廷に納税をしていました。この時期の荘園を初期荘園とよび、自ら経営していることから自墾地系荘園ともいいます。 初...
荘園

荘園の始まりと初期荘園

743年の奈良時代。聖武天皇の御代に発布された墾田永年私財法によって、新しく開墾した土地は私有地と認められるようになりました。 これらの私有地は、のちに荘園と呼ばれるようになります。 荘園のはじまり 新しく開墾した土地を、そのまま放置して...
スポンサーリンク